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神戸地方裁判所 昭和35年(行)14号 判決

原告 高橋こと 山本はや

被告 姫路労働基準監督署長

訴訟代理人 藤井俊彦 外三名

主文

原告の本訴請求中

被告がなした保険給付不支給処分の取消を求める部分は、これを棄却する。

被告に対し保険給付の処分を求める部分は、これを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が、原告に対し昭和三十三年三月二〇日附でなした労働者災害補償保険法に基く保険給付を支給しない旨の処分はこれを取消す。被告は、原告に対し保険給付の処分をしなければならない。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求原因として

一、原告は、姫路市失業対策事業の土工として雇われ、昭和二十七年九月四日、同市が、同市飾摩区加茂地内でなした下溝補修工事現場において、コンクリートの型枠組立作業に従事中、足を踏み外して右型枠上に転落して右胸部を強打、その為に受けた右胸部打撲傷を岡上病院で加療していたところ、同月二十四日、全治した旨の診断があつたが、受傷箇所内部の疼痛は、その後今日に至るも持続している。

二、それで、原告は、昭和三十三年二月四日附で、被告に対し、再発認定申請書を提出し、労働者災害補償保険法に基く保険給付を請求したところ、被告は同年三月二十日附で、再発とは認めないとの理由で、保険給付をしない旨の処分をなしたので、更に、兵庫労働災害補償審査官に審査の請求をなしたが、前同様の理由で、右請求も棄却された。そこで、原告は、労働保険審査会に再審査の請求をなしたが、これも亦、同三五年一月三〇日、棄却されて、その裁決書謄本は同年四月七日原告に送達された。

三、しかし原告において、その後も快癒するに至らない右胸部の疼痛、その他口中よりの排膿などの症状に見られる身体障害は、前記のような事情による業務上の災害に因るものであるから、被告のなした前記保険給付不支給の処分は違法であり、これを取消すべきである。

と述べた。

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求め、答弁として「請求原因第一項の事実中、受傷箇所内部の疼痛が今日まで持続しているとの点は知らないが、その余の事実は認める、第二項の事実は認める。第三項の事実は争う。被告が、原告主張の症状を再発と認めなかつた理由は、別紙準備書面記載のとおりである」と述べた。

証拠〈省略〉

理由

原告が、姫路市失業対策事業の土工として雇われ、昭和二十七年九月四日、同市飾摩区加茂地内の下溝補修工事現場において、コンクリートの型枠組立作業に従事中、右型枠上に転落して右胸部を強打し、その際受けた右胸部打撲傷を、岡上病院で加療していたところ、同月二十四日、全治した旨の診断があつたこと、原告が、昭和三三年二月四日付で、被告になした保険給付の請求に対し、被告が、同月二十日附で、原告の右胸部の疼療は、再発とは認められないとの理由で、保険給付不支給の処分を為したこと、これに対し、原告が、兵庫労働災害補償官及び労働保険審査会に、順次審査並びに再審査の請求をなしたが、いずれも前同様の理由で、右請求を棄却されたこと、再審査の裁定書は昭和三五年四月七日、原告に送達されたことは当事者間に争がない。

ところで、本件保険給付不支給処分が違法であるとする原告の主張は、今日なお持続している右胸部内部疼痛が、前述の業務上の打撲に起因するに拘わらず、被告においてそれを認めなかつた。というにつきるのである。

成立に争のない乙第一号証によれば、原告の提出した再発認定申請書には、島本忠明医師の意見として、原告の訴える疼痛は、右胸部打撲による右胸部肋間神経痛と診断し、これは受傷後右胸部痛去らずに現在に及ぶため、再発ではなく継続と認める、なお、その療養見込期間は、昭和三二年一一月二二日より同三三年四月三〇日までとの記載があつた。そこで、被告においては、成立並びに原本の存在について争のない乙第二ないし第五号証、証人岡上芳次の証言から認められるように、原告が、再発認定申請をなすに至るまでに診察を受けていた各医師の診断を綜合判断して本件不支給処分をなしたものと窺われるのであるが、その各医師の診断は、次に記述する如く各別であつて一致をみていない。即ち、

(1)  富士製鉄株式会社広畑製鉄所病院医師には、昭和三二年一〇月二六日初診、原告から本件業務上の受傷以来胸痛去らずとの訴があり、レントゲン撮影、血沈検査等を施行した結果、外科的には異常なく胆膿症の痛と診断された。

(2)  国立姫路病院の医師には、昭和三二年一一月二二日初診、原告の右胸部疼痛の訴に基き、レントゲン撮影、喀痰培養等を施行し、湿布、アロビラザルプロ注射等を受けているが、その診断については診察録に記載なく不明である。

(3)  浅田医院においては、昭和三三年一月一〇日初診、原告の右胸部疼痛の訴によりレントゲン撮影、血沈等の検査を受けて右肋間神経痛と診断された。

(4)  飾摩診療所の医師には、昭和三三年五月一四日初診、原告から右肋骨カリエスをして膿がたまつているとの訴により、レントゲン撮影並びに胸部透視をしたが癒着のみ認られただけで変化なく治癒していると判断され、結局診察録にはNBカリエス、膿胸の疑と記載されるに止つている。

しかして、右各診断について一様に云えることは、レントゲン写真等による検査によるも、本件業務上の打撲と原告の訴える胸部疼痛との間に因果関係ありと認めるべき他覚的所見が全く見当らないことであり、被告が前述のような資料に基いてなした本件不支給処分には合理的な根拠があると認めなければならない。更に、被告の再発と認めなかつた判断の正当性は、証人岡上芳次の証言、原告本人尋問の結果によれば、岡上証人は、原告が受傷して二日後に原告を診察し、ひきつづき加療に当つたのであるが、その際における同証人の所見、原告の右胸部打撲傷は皮下損傷であつたけれども、治療の結果、外傷は勿論、最初患部に見られた赤発、腫脹はいずれも消失し、肋骨損傷の有無についても、数次に亘つて施した介達性圧力を加えてみても、原告において何らの疼痛を訴えなかつたことから、医学的に見て、エックス線写真の撮影及び精密内診の必要を認めなかつたので、完癒と認めたこと、原告も完癒と認められてからは昭和二十八年七月頃まで就労し、その間同二十七年十月頃には結婚生活に入り、同二十八年一月頃には懐妊している事実、証人藤原順の証言及び同証言によつて成立を認め得る乙第六号証から認られる、本件不支給処分に対する審査請求の段階で、原告が訴える痛が、前述の業務上の傷害に基くものか否かについて医学的な見解を求めた神戸医科大学第一外科に勤務する医師の藤原順証人は、その頃、原告を診察すると共に、受傷時の状況、その後の経過、現在の自覚症状等を聴取し、原告から提出されたレントゲン写真五枚、被告及び審査官において調査した資料、それまでに原告が治療を受けた病院及び診療所等の診療の経過を検討した結果、骨変形、腫脹その他の変化なく、聴打診上も胸部臓器に著変はない、又、レントゲン写真によつても原告の自訴する肋骨カリエスその他の病的所見は認められないとして、結局、原告のいう現在の症状と前述の業務上の打撲との間に因果関係を認め得ないとの意見が出されている事実に徴しても、容易にこれを肯定できるのである。

原告提出の甲第一号証(昭和三三年五月二七日付の飾磨診療所医師今井次郎作成の診断書)には、助骨カリエスのため現在同診療所において診療中との記載があるが、これとても右疾患と原告の受けた打撲傷との因果関係について何らふれるところがなく、又原告本人尋問の結果中前記認定に反する部分は、医学的な根拠をもたない供述にすぎず、これをもつて前認定を左右し得るものではない。

次に、原告の本訴請求中、被告に対し保険給付の処分を求める部分は、行定庁たる被告に行政行為を求めるいわゆる義務付訴訟であつて、かかる訴訟は、三権分立の建前から許されぬものであつて不適法である。

よつて、原告の本訴不支給処分の取消を求める請求は失当として棄却し、保険給付処分を求める訴は不適法であるからこれを却下し訴訟費用は、敗訴の原告に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 小泉敏次 正木宏 西池季彦)

別紙 被告準備書面

一、本件の処分は至つた経緯

原告は、昭和三三年二月七日、被告に対し、再発認定申請書を提出した。この申請書には「医師の意見」欄に国立姫路病院の医師島本忠明のつぎのような意見が記載されていた。

1 傷病名 右胸部打撲による右胸部肋間神経痛

2 傷病の部位 右胸部

3 治癒より再発までの傷病の経過

約五年前に作業中に右胸部を打ち、以来約二週間医療を受くるも軽快せず、昨年二、三の病院にて加療、三二年一一月二二日来院、上記の疾患と診断す。

4 療養見込期間

自昭和三二年一一月二二日

至昭和三三年四月三〇日

5 再発と認めた事由

受傷後右胸部痛は去らず、現在に及ぶため、再発ではなく継続と認めます。

そこで被告は、つぎに述べるような慎重な調査をつくしたところ、原告主張の病状は昭和二七年九月四日の傷病の再発とは認められないことが明らかとなつたので、同年三月二〇日保険給付をしない旨の本件不支給処分をなしたものである。

二、被告が原告主張の症状を再発と認めない理由はつぎのとおりである。

原告は昭和二七年九月四日、その主張のように胸部を打撲し、直ちに岡上病院にて診療を受け、同月二四日同病院において右傷病は治癒した旨の診断がなされているものである。その後、受傷後約五年を経過した昭和三二年一〇月二六日以後になつて被告は各所において医師の診断をうけているが、その状況はつぎのとおりである。

(1)  富士製鉄株式会社広畑製鉄所病院医師の診断

昭和三二年一〇月二六日初診。レントゲン撮影、血沈検査施行の結果、胆のう症と診断する。

(2)  国立姫路病院医師島本忠明の診断

昭和三二年二月二二日初診。被告が右胸部に疼痛を訴えるので、昭和二七年右胸部の打撲により同部神経の炎症が持続したものと考え、右胸部打撲による右胸部肋間神経痛と診断する。

(3)  浅田医師の診断

昭和三三年一月一〇日初診。被告が右胸部疼痛を主訴するのでザルソブロカノン糖注射を施し、同月一四日レントゲン撮影するも他覚的には病的所見は認められないので右肋間神経痛と診断する。

(4)  飾磨診療所医師今井次郎の診断

昭和三三年五月一四日初診。レントゲン透視の結果傷病名「カリエスの疑」と診断する。

そこで以上の診断を綜合してみると、

(イ) 浅田医院、富士製鉄株式会社広畑製鉄所病院のレントゲン写真に肋骨腐蝕の他覚的所見は認められない。

(ロ) 浅田医院では病的所見を認めず、富士製鉄株式会社広畑製鉄所病院では胆のう症と診断され、したがつて、被告の右胸部の疼痛は、胆のう症による右上腹部の疼痛と考えられ、外傷とは何ら因果関係が認められない。

(ハ) 仮に、胸部肋間神経痛の症状があるとしても、負傷時の胸部打撲は、岡上医師の加療によつて全治しており、他覚的所見も認められないのに、その後五年以上の間前記打撲による傷病が原因で痛みが持続したとは考えられない。

従つて、原告の主張する現在の症状は、仮にそのような症状があるとしてもそれは昭和二七年の外傷とは何ら因果関係がなく、再発とは認定しがたいのである。

ところで、労働者災害補償保険法にいわゆる負傷又は疾病の「再発」と認められるためには、業務上の負傷または疾病について、一たび症状が固定し、治癒と認められたにかかわらず、再び同一の症状が再現または悪化して、療養を必要とする程度となることが必要であると解されるのであるが、本件においては、前項にのべたとおり、被告主張の症状は仮にそれが存在するとしても当初の業務上の負傷と何等因果関係を有しないもので、再発と認められないものであるから、労働者災害補償保険法による保険給付の対象とはならないものといわなければならない。

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